レポじゃない部分

まとめ的なブログ きもち的な部分も

・これまで

 

こんにちは

春先小紅

過ごしやすい季節になってきました

 

31日、担当が退所し

ここ数日Twitterを私用化してしまい

誠に申し訳ございません

現在もいきなり動悸が激しくなったり

顔が異常に乾燥したり

食欲もほぼ無く

いつにも増しておかしいです

 

そんなことより今までの事を全て書き留めておこうと思いました

いつか、嬉しかったことも全て忘れてしまうような性格なので

(コンサート後に「何起こってた!?」と同行者に真面目に聞くくらい記憶力0人間)

 

めちゃくちゃ長いです

そして「大人の力」というワードが出ます

賛否両論あるものなので否定肯定いたしませんし最低だなと言われてももう過去のことなので

 

 

 

2015年 12月31日

その日は京セラドームHey!Say!JUMP  Countdown LIVE 2015-2016 JUMPing CARnival Count Down

に、来ていました。

時刻は22時頃からでしたでしょうか

薮くんが「悪いことしてるみたい!」とはしゃいでたような

その日その時の手元には「伊野尾」うちわを持っていました

この日私は今後の人生を大きく変える出会いをします

カウントダウンの中継がはじまり

Hey!Say!JUMPの後ろにわらわらと出てきたのは

向井くん、大橋くん、等の関ジュでした

正直、まいジャニは見ていたもののそこまで顔がと名前が一致するメンバーも少なく

しかし初めて見る関ジュにとても興奮していました

(Hey!Say!JUMPは2013年頃からバック無しだったので)

そして外周をぽてぽてと走っていたのは大橋くんでした

咄嗟に「おおはしくーん!」と叫ぶと彼は振り返って大きくお手振りをしてくれました

今考えるとこれが人生初と言っていいくらいのファンサでした

その日は公演後に「大橋くんがぁぁあ」と早朝に興奮しておりました

 

そして月日は流れまだ伊野尾担でした

2016年もバリバリに全国遠征しバリバリにViva!9's SOULを踊り狂い我 I Need  Youで伊野尾に

しかし、ツアー後半に某女ネタが週刊誌に載り一気に無理に

 

早く降り先を!ととりあえず手当たり次第にコンサートやら番協に申し込んだところ1発でまいジャニの番協に当選

しかもその回はお正月スペシャルでこれで一気に関西の沼にズブズブと落ちかけた

とりあえずまいジャニやとれかんを聞き漁り雑誌を読み込む

 

そして2016年12月についに松竹座へ乗り込んだのだ

その日は元・平野担でこの子も新しい降り先を探していた

初めて入る松竹座は狭すぎてお遊戯会かと思った

そしてここでめでたくFunky8の大橋くんに堕ち、ついでに可愛いちっさい子に目をつけた

ポスターを見ても誰か分からない

雑誌を見ても分からない

答えがわかったのはその後の公演で

「君は…岡﨑彪太郎くんって言うのかい…?

ポスター映り…悪過ぎないかい…?」

と、クリパで一気に担当と応援枠をGETし

何の悔いもなく伊野尾のグッズを全て業者に送った

 

その後直ぐにジャニストのツアーに行き

バックの立ち位置ガチャで見事に外れ真鳥に濃厚なファンサをされ軽く揺らぐ

そしてもう一度入ったツアーでは前後左右全て大橋担でもう団扇を出す気にもならなかった

 

その後春松竹も楽しんだ

コントでの和子は可愛くてガチャ予想に必死だった

何故か大晴ばかりで泣いていた

この時はファンサより存在がファンサだったので友達と一般の席に入ったりしていた

 

そしてその後、舞台銀二貫が決まりここでありえない良席を当ててしまう

その時に何故か気になったのが朝田の存在である

とても顔が綺麗だ

とてもとても

以上。何も揺らがなかった。

大橋くん可愛い世界回してる。

 

季節は夏になり7月

暇なのでA.B.C-Zのコンサートに入る

大橋くんはバックにつかないの確定だったので

しゃーなし「淳弥」うちわを作った

座席は確か4列位だっただろうか

「五関カッケー 大晴脇毛やべー」と思ってた

ふと、外周に来た朝田にうちわを出した

すっっっごい真顔で「一応出してます」くらいで

すると直ぐに気づいて左目でマトリのハートを作ってくれた

ファンサ慣れしてない自分はクラっと来た

しかし数日経つと「大橋くんって素晴らしい」と、元通りになっていた

 

夏松竹は大橋くんの誕生日公演に入り

満足してしまった

いつの間にか大橋くんの良いところが分からなくなっていた

ダンス?歌?顔?何かが物足りない

と、いうより完璧すぎたのだ

天然っぽい面を見ても何か作り物の様な…

でもまだ伊野尾から降りて半年と少しだ

我慢と思いながらもまいジャニを見たりしてると心は動いて気付いたら猛烈に末澤の画像を保存していた

これはマジでシンプルに浮気

 

季節は進みまた2017年クリパになった

初日、仕事終わりに4列通路横に入った

なかなかいい席だったのにファンサは無かった

でも、かっこよかった可愛かった(雑)

 

次の公演も少しの期待でピンク色のペンライトをふりふり

すると大まかなブロックにお手振りを大橋くんがした

私は「ふーん」という軽い気持ちでその姿を見ていたものの

周りのピンクペンライトの人達は

「これは絶対に私を見てだ!」

「これは私にしてくれた!」

と言わんばかりに皆、顔を覆ったり更にペンライトを振り返したりしていた

正直「着いていけない」と、ペンライトを消して座席に座ってしまった

 

そして次の公演、12月8日だっただろうか

昔からの付き合い(JUMP担時代からの)子が

1階1列通路横という恐ろしい席を当てた

この日もやっぱり仕事終わりで雨が降っていた

化粧も髪もボロボロで公演は始まった

こんないい席でボロボロの姿、大橋くんに見られるの嫌だな

こんないい席であんまり好きじゃないピンク色嫌だな

そう思って西畑ソロのメリークリスマスの時にちょうど立ち位置にいた朝田

ちょうど私も青色が好きだ

とりあえず青に変えた

途端に何故か気持ちが楽になった

公演後「大橋くん降りようかな」と、その子に相談した気がする

公演後に行ったお店、ドリンク遅すぎてイライラしてた

 

その後また直ぐに松竹座に入る

この日は1人で入った

そして公演の最初から最後まで初めて青色のペンライトで挑んだ

気持ちが軽い

青色ってやっぱりピンクより可愛い

周りのオタクがしんどくない

朝田淳弥、やるやんけ

その日に即・担降りした。

 

2017年になりあけおめで浮かれまくった

センステ最前から見るkicyuは可愛い博物館でしか無かった

会場全体が緑と青でその光景にホロりときた

「絶対的運命体・今朝」をしっかりと頭に刷り込まれる

一、奴隷の爆誕

 

数日後に私は福岡にいた

ジャニストの2公演目(初公演は横アリ)

バックに期待していた

とりあえず淳弥うちわを持って

結果、バックには着いておらず

その夜急いで真鳥の団扇を拵えた

すごく柔軟で浮気性なオンナである

そして振り回されてもニコニコしてる奴隷力を発揮。

 

2018年春、ようやく朝田が見れる

今回は頑張るぞと大人の力をフルで発揮し

かなりのチケットを抑えていた

(このようなお話し苦手な方、偏見ある方が多いかと思いますが、もう過去のことなので話します)

ここで初めてファンサを貰う

この日、元・平野担も2席ほど後ろから見ていて

公演後に2人でバカくそ喜んでた

「見てた!」とか「どうしよ〜」とか

この最高な気分をSNSに投稿しようとすると

様子がおかしい

何故朝田がこんなに?

はい、この日です 某女さんとのSNSの流出です

素晴らしいタイミングでした

とりあえず画像非表示にし浮かれていました

「はいはい、そりゃ顔良いんだから女の2人や3人いや4〜5人いて当たり前だっつーの」と。

次の公演は1週間空いてまだまだ数公演残っていた

ノリノリであった

その日から3日後くらいにレポで朝田不在の文字

体調不良?怪我?学校?

不安になったが数日で帰ってくるだろう

そして次の日も、次の日も、不在、不在

心が病んだ

退所した、謹慎、色々と話が出ていた

これは結局謹慎だったのか。未だに不明だ。

翌週に藤原担の子と恐る恐る松竹座に入った

やっぱり朝田はいなくって

今朝のUBはフルカット

いろんな部分が色々と抜けてて

人数的にも埋めれない部分が沢山あって

今朝奴隷なので緑と青のペンライトをふりふりしていたが

それすら何故か虚しくて途中で消してしまった

その後に1公演入ったが次は丈橋、リチャ末が追加されておりもう朝田が春にいたことは跡形も無く消されていた

大人の力で手に入れたチケットは全て手放した

直接手渡しする時には心の中で

「本来なら私が入る席なんですけどね!精々楽しんでらっしゃい!」

と、威張っていた

今思うと入っても居ないしメンタル減らされる結果なのにね

千秋楽に最後の記念にと入った

その日、ギャグメモ帳が売り切れるか心配で

月給以上のお金をお財布に予備で入れていた

その前に室担のお姐さん2人と松竹座の地下の飲食店でご飯をご一緒した

「朝田くん売り切れるといいねー頑張って!」と話したような

そして開演20分前頃に「売り切れないから行ってくる!」とカッコよく物販へ向かった(実際はただのオタク)

すると、Twitterで「朝田 売り切れ」

散った。私の春は散った。何も出来なかった。

虚無感に襲われやっぱり朝田の居ない千秋楽の公演を表面上楽しんだ

ここで何故かこたちゃんの歌ってた全然感動も何もしない曲でギャン泣きしてた

精神崩壊である。恐怖。

 

月日は流れ夏になっていた2018夏松竹。

この時点で私は「朝田は出ない」と読んで

申し込みすらしていなかった

初日。昼頃に起きるとTwitterとLINEの通知が馬鹿になっていた

確認すると「いるよ」と。

最初は夢かと思い馬鹿馬鹿しいとすぐに一旦寝た。

もう1回起きて確認するとパンフレットの画像が添付されていた

「ほんまにおるやんけ」

と。

急いで大人の力で中日頃に入った

ほんとに実在していた

しかもめちゃくちゃ良い役だった

今江がいないと無い役で 今江に頭が上がらなかった

と、同時に末澤担や古謝担などから

「なんで朝田は松竹座に出れるんだ?」と誹謗中傷も増えた

申し訳ございませんと心で思いながらも口からは「需要が有るからだよ」と言っていた

正真正銘のカスオタクである

夏にも何度かファンサを貰った

もう愛しさしかなかった

こんなカスオタクにもファンサするんだ?と

 

さて次は冬かと、一息つきたい所だったが

秋の梅芸が決まってしまった

嬉しいやらとんでもないやら

またここでも大人の力でチケットを手にした

ここまで来ると亡者である

秋はオタク史上最高の現場であった

回数で言うと9公演も入ってしまった

そのうち半分以上でファンサを貰った

もう時効かなと思うのでファンサ自慢を

カンペ団扇は「星投げて飛ばして」のみ

おっきな星やら急いで書いたぐちゃぐちゃな星、2重書きした星

たくさん色々投げてくれた

投げ方もボールみたいに投げる時、

口でふっと吹いて優しく投げる時

やっぱり急いでぶん投げる時

全部嬉しかった

後半なってくると1曲目の時点で「あっ」と気づてくれて

完全に麻薬だった

会社はあの手この手で休み、時には行ってもない旅行に行ってきたとお土産を渡した

そう思うと、会社でオタクバレしてる人ってとても羨ましい

 

また息をつくまもなくクリパが始まった

ここでもやっぱり大人の力を発揮し

次は別のファンサばかりしてもらっていた

これは別の子にも使いたいので今は言えないが

雑誌で1回だけやっていたポーズで 

あまりにも可愛すぎたので2019年の春公演でも永遠にやらせていた

千穐楽で隣の藤原担の方がサッと花横を譲ってくれて初めて握手が出来た

公演中も「ありがとうございます」と言って公演後も「ありがとうございます」と言ったのにさすが藤原担なのか藤原に似たのか「あ、はい 大丈夫ですよ」くらいで最高にお手本の藤原担だった

その日は手の感触をリピートしすぎて寝れなかった

その日だけ6歳の女の子だった

 

2019年、あけおめはデジチケということで

某神社にお参りに行った

その甲斐あってか初公演アリーナ外周横が当たり

またここでは今朝関連のカンペを出したところ答えてくれて城ホールの床にも埋められた

結果2日目昼以外はかなり楽しめた

 

1月初旬頃にLilかんさいが結成された

実感は湧かなかったが2016年から見ていたチビの応援枠の子がユニットに入れたのは安心した

 

1月半ばに

滝沢歌舞伎の公演に今朝古謝の出演が決まり

またここで泣きながら大人の力でなんとか数公演入った

「こんなに踊れてたの?」

「あらやだ!こんな顔できるの?やだね〜」

「あれ、目黒くんかっこよない?えっ?」

「あれ、しょぴさん、えっあっ〜?」

色々と思うことはあったがもうこの時に3月の決断は既に決まっていて

色々と終わってた頃でもあったのかと思うと

もう少しファンレターの内容を考えるべきであった

 

2019年春は初日に入った席の隣の末澤担の方と開演前に少しお話をした

ここでまさか今使っているアカウントを特定するとは探偵か何かかと思った

しかしOLの私程度の大人の力では

力も無力であった

自重自重で1公演1公演を大切に入った

それでも運良く1階1列に入れた時はしっかり握手してくれた

隣の大橋担の方が私よりギャン騒ぎしてて

それが更に恥ずかしさを盛り上げた

ファンレターはなるべく説教とかにならないように

大き過ぎない私の希望と願望と良い良いと褒めることばかり

たまに本当の部分を書くことがあったけど

もしも塾の事とか、立ち位置が下がったとか、出番が少なかったとかは絶対に書かなかった

千穐楽は先日書いた通りであっさりとしたファンレターで

普段2枚程度書くがその日は1枚だけで

「次はエイトですね 」「また会いましょう」と締めていた

もし、ファンレターを本人が読んだ時どんな気持ちだっただろうか

数時間後起こることがわかっていれば便箋10枚でも足りなかったと思う

 

これが私の今までの関西でのオタク活動記でした

何が言いたいかと言いますと

今、朝田担から強制担当無しに変わった方

急いで誰でもいいと担当は決めない方がいいです

それが良いのか悪いのかは数年後に分かりますが

私は失敗したーと思いました

(大橋くんは今でも大好きですしなにわは飛躍して欲しいです)

また、入れるうちに無理してでも入れ

明日の保証は無い

推せるうちに推せ

ファンレターはやや本音で書け

常に人生をアイドルに費やしてくれてることに感謝

ですかね。

私は今のところ担当無しで朝田担亡霊ですが

今江と古謝を担当になれなくても応援するのが供養の方法じゃないかなと思ったり

今江くんは常に隣にいてくれて家族より家族の存在

だったら応援するのが筋と私は思うのです

これは私のひとつの提案で正解はありませんが

 

数ヶ月後、数年後

そんなこともあったなーと思えるくらいになってたらいいな

でも、いい所は覚えておきたい

そんなワガママな私でした